降幡研究概要詳細(テーマ1)

 ここでは研究全体の背景の詳細と、テーマ1(モデル開発)の詳細について記載します

死なない細胞でいいかげんにヒト脳を創るプロジェクト:f-res fig1

 脳疾患は、新たな治療薬開発が非常に難しく、さらに治療薬の効果をコントロールすることも極めて難しい疾患領域です。その理由として、まず一つには血液脳関門の存在があります。図1に示しますが、血液脳関門は、脳の毛細血管を実体とし、薬も含め様々な物質の血液から脳への移行を厳しくコントロールしています(具体的な説明は末尾にあります)1)。つまり、薬は簡単には脳内に届かないのです。薬が届かなければ、当然、治療効果は出ません。したがって、「いかにして薬を脳に届けるか・脳に届く薬を見つけるかを明らかとするか」、および「患者ごとに違っている薬の脳への届き方をどのように把握して投薬設計に生かすか」が創薬上・治療上の課題となっています。
 また、新たな薬や治療を開発するには神経以外の脳細胞にも着目し、脳内の細胞を新たな機能単位で捉えなくてはならないことが明らかとなりつつあります。そこで、従来の「血液脳関門」を拡張した考え方が提唱されており、これは「Neurovascular Unit(NVU)」と呼ばれます2)。NVUは血液脳関門の機能と神経細胞やアストロサイト、ミクログリアといった脳細胞(さらに広くは血中の細胞)を統合して一つの機能単位を形成していると捉え、その機能変化や回復過程から脳の生理機能や病態を理解しようとするものです。したがって、NVUを標的とした薬を開発することが新たな創薬や治療法を生み出す鍵を握るとされています。

脳疾患に対する新たな薬を創るヒト脳モデル - 不死化ミニブレイン

ヒト脳モデルは上記のような創薬・治療研究の推進になくてはならないものです。さて、ヒト脳を実験室で再現する際、何が大事でしょうか?たしかに生体にあるべき姿をそっくりそのまま再現することが出来れば、いうことありません。・・・が、本当にそれが可能で、それが出来ないと何もはじまらないのでしょうか?私たちは、実験室で行う以上、本物のヒト成人組織を再構築することは不可能と考えています。

 さて、どうするか? F fig2

私たちは、いいかげんにヒト組織を創ろうと考えています。つまり、 ― 本物ヒト組織に出来るだけ近づけつつ、でも妥協出来るところは本物でなくてもよく、一方で誰でもが簡単に、いくらでも使え、欲しいデータを安定して得ることが出来るモデル ― そんなヒトモデル開発に取り組んでいます。

具体的には、図2に示します。これまでに私たちは、血液脳関門を構成する独自のヒト条件的不死化細胞3)を樹立してきました。ヒト条件的不死化脳毛細内皮細胞(以下HBMEC/ci18とします)は、脳毛細血管内皮細胞としての性質を持ったまま、いくらでも増えます。同様に、ヒト条件的不死化アストロサイト(HASTR/ci35)、ヒト条件的不死化脳ペリサイト(HBPC/ci37)はそれぞれアストロサイトと脳ペリサイトの性質を持ったまま、いくらでも増える細胞です。
 そこで、これら3種細胞を組み合わせて二次元型・三次元型の小さなヒト脳(ミニブレイン)を構築してきました。ここで大事なのは、いいかげんさのさじ加減。1)作りやすさ、2)生体の再現、3)ヒト脳の機能 ー この3つがちょうどいいバランスにならないと、中々、真に研究で使えるモデルになりません。私たちは従来のやり方に、自分たちなりの生体模倣4)の工夫(特願2020-7041、2020-65670)を加えて、オリジナルのモデルを作ってきました。

二次元型ヒト脳モデル: トランスウェル型の培養容器中で、インサートと呼ばれる内容器の多孔質膜上でHBMEC/ci18(脳毛細血管内皮細胞)による単層膜を作らせ、これを血液脳関門に見立てることで、その内側を血管の内部、その外側を脳の内部として再現することが出来ます。HBMEC/ci18の下にHBPC/ci37(脳ペリサイト)、その下にHASTR/ci35(アストロサイト)を配置することで、生体の血液脳関門を再現しています。このようなトランスウェル型のモデルは従来からありますが、動物由来のものが主体であリ、私たちのモデルの特徴は、「ヒト」の血液脳関門のモデルであること、さらにその機能を高める独自の生体模倣培養法を取り入れていることにあります。
 このモデルを用いた実験例を図3左に示します。このモデルのよいところは血管側と脳側から培地を採取することが出来ることであり、血管側に薬を入れ、一定時間たった後に脳側にどれだけ薬が移動したか測定することで、薬物が血液脳関門をどれくらいの速度で通り抜けるか解析することができます。図のグラフにあるように、脳に届きやすい薬は高い値が、届きにくい薬は低い値が出てきます。実際に、アルツハイマー病治療薬であるメマンチンでは高い値が、眠くならない抗ヒスタミン薬のデスロラタジンでは低い値が得られており、このような実験で、ヒトの脳に届くかどうかを、ヒトに投与することなく知ることが出来ます。

三次元型ヒト脳モデル: F Fig3HBMEC/ci18、HBPC/ci37、HASTR/ci35を組み合わせ、96穴の培養プレートの一つ一つの穴の中で、小さな球状の立体的なヒト脳モデルを構築しています(直径 約0.0002 mm)。このモデルでは、一番内側は脳の内部でアストロサイト(HASTR/ci35)からできていて、その外側にペリサイト(HBPC/ci37)がいます。これを一面に覆うように脳毛細血管内皮細胞(HBMEC/ci18)が取り囲み、最外層に脳血管壁(BBB)が形成されます(図2)。ちょうどヒト脳血管を内外反転したような形態を持っています。雪見だいふくみたいな感じ(もちがBBBで、アイスが脳の中)。このようなモデルは立体的かつ生体のように階層構造を持っていて、内外反転ではあるものの、生体に非常に近い形態をとっています。ヒト条件的不死化細胞だけでこのように脳を再現したモデルは、世界でも初めてです。
 このモデルを用いると、2次元型と同じように、薬がどの程度脳に届くか解析することが出来ます。専門的なことを言えば、二つのモデルで得られるパラメーターは異なりますし、内容により適・不適があるので、使い分けは大事です。それよりも、このモデルの大きな特徴は、ヒトの脳血管の病態を再現できることです。その例を図3右に示します。この図では、脳血管に炎症が起きた際に、血中の免疫系の細胞が集まってくる様子を再現した様子を示しています。色々な脳疾患では、免疫系の細胞が炎症を起こした脳血管に集まり、さらに脳の中に入り込んでいくことで、脳内の炎症反応を拡大することが知られています。この炎症を制御できなければ、神経障害が生じる原因となることから、脳血管における炎症反応に対する治療は、脳疾患の新たな治療アプローチとして期待されています。これに対し、私たちの三次元型ヒト脳モデルを用いることで、ヒトの脳血管病態の解明や創薬標的の探索を進めることが出来ます。

 私たちのモデルの強みは、ヒトの機能を持ち、かつ簡単に作ることができ、さらに、大量に使うことが出来ること。世界を見渡しても、この3つを併せ持つヒト脳モデルは他にありません(2020年6月現在)。しかし、ただモデルを作っただけでは意味がありません。これを使って「薬や治療を生み出すこと」が大事です。そこで現在図4にあるように幅広くモデルの活用を進めています(ヒト脳内薬物濃度予測法開発と医薬品開発・個別化治療への応用、血液脳関門創薬のための基盤技術開発とシーズ探索・育成、ヒト脳疾患モデル開発と治療標的分子探索、グリオーマモデル開発と新規治療法の開発)。詳細は各テーマのページをご覧ください(まだ作成していませんが、随時作成します)。F Fig4

もちろん、まだまだ研究は始まったばかりです。ヒト脳モデルもまだまだ完成ではあなく、ひとまず最初の段階を越えたところです。私たちは、ヒト脳モデルを「脳疾患に対する薬や治療を生み出すための世界標準」とすることで自他の研究を推進し、薬や治療を一つでも生み出すことで、治らなかった病気が治る病気に変わる瞬間に立ち会えることを夢見ながら、一歩一歩あゆみを進めていきます。

最後に。私は、あえて「私たち」という主語を使っています。これは、私だけではこの研究はここまで発展しなかったからです。数々の失敗や難しい局面を耐え、乗り越えてきたのは、取り組んできた学生さん達や共同研究者の才能と努力の賜物です。その思いを込めた「私たち」です。これからも同じ。研究はチームで進めるもの。思いを共にする若い学生さんが、一人でも多く、自他の研究室で意志を継いでいってくれることを楽しみに待っています。
 


【用語説明】

     1) 血液脳関門(blood-brain barrier、BBB)

血液脳関門(BBB)は脳と血流を隔てる脳毛細血管内皮細胞を実体とし、その周りをペリサイトやアストロサイトが取り囲むことにより、その機能を発揮しています。脳毛細血管内皮細胞同士は強固に結合しており(これを密着結合といいます)、細胞と細胞の間に隙間が出来ないような仕組みを作っています。また、脳毛細血管内皮細胞には色々なトランスポーターが存在しており、これらトランスポーターにより脳に必要なものは脳内に選択的に取り込まれ、脳に不要なもの、脳に対して毒性を持つ物質は脳内に入らないようにしています。通常、これらの機能は脳を守る重要な役割を担いますが、BBBは同時に薬の脳移行も制限してしまいます。つまり、せっかく脳疾患に効く薬をつくっても、脳に届かないために治療効果が得られないことも多々あります。また、BBB機能には人によって異なっています。

   2) Neurovascular Unit (NVU)

近年、脳は神経細胞と他の細胞が協調的に機能することが明らかとなりつつあり、Neurovascular Unit(NVU)と呼ばれる脳内多種細胞機能連関の概念が提唱されています。NVUは神経細胞、脳毛細血管内皮細胞および他の脳細胞(アストロサイト、ペリサイト、ミクログリアなど)から成り、神経系の最小機能単位として神経活動や神経再生、脳血流制御、BBB形成などの役割を担っています。現在、このような機能連関全体に着目することこそが、画期的な薬や治療法の開発につながると考えられています。 

3) 条件的不死化細胞

不死化細胞は、「由来細胞の機能を保持しつつ、無限に増殖する細胞」と定義されます。子の細胞は、正常の細胞に「細胞を死ななくする遺伝子」を導入することで、作成することができます(とはいえ、ノウハウは必要です)。通常、正常細胞は入手が困難で増殖もしませんが、このような遺伝子改変を行うと、いくらでも入手が可能な細胞を手に入れることになります。ただ、単純に細胞を不死化すると、元来の正常細胞の機能が低下してしまうことも知られています。これに対し、条件的不死化細胞とは、一定の条件下のみで細胞が不死化される特徴を有しており、これにより必要な時に必要なだけ細胞を準備し、実験をするときには正常細胞に戻してその機能を解析することが出来るようになります。

   4) 生体模倣

生体は、細胞、体液、細胞外マトリックスなど様々な要素が複雑に、でも秩序だって作られています。この生体本来の成り立ちを実験室レベルに落とし込むことを生体模倣とよび、これにより、より生体に近い人工組織を作ることが出来ると考えられています。すべてを生体のまま再現するのは現在の科学をもってしても困難ですが、生体模倣といえば多くの場合、生体の仕組みの複数の要素を取り入れていることが多いように思われます。